こんにちは!相馬です!
昭和通り商店街は、今では「天然色の街」として沢山の方々に知られています。ですが、どのようにして「天然色の街」が出来上がったのか?ということは知らない方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、そのように呼ばれるようになるまでの過程を取材してきました。
現在はきちんと街路整備されており、さらには街路樹なども植えられております。
装飾の中でも、秋から冬にかけて夜になると綺麗にライトアップされるというところが私は好きです。私だけでなく、このイルミネーションの虜になった方は沢山いるのではないでしょうか。
今では、青森市中心商店街で唯一アーケードがないということで有名ですが、そのような通りも、昭和の終期の頃にはまだアーケードがあったのです。
では何故無くなってしまったのでしょうか?
どのような物でも時間の流れには逆らえず、いつしか古くなっていくものです。アーケードもまた時が経つにつれ古くなり、破損部分が多くなってしまいました。このままでは道を歩いている通行人に危害が加わる恐れがあります。それを見て消防の方々からも、アーケードを建て替えるように忠告されるようになりました。その時には既に、歩道が女性の方がヒールでは歩くことが出来ない程にでこぼこしていました。そのため、通行人の方からも、たびたび整備の依頼が来ていたそうです。4年に1度ある商店街診断でも3回に渡り指摘されてきました。
このような、通行人、市、県、国からの要請もあり、立て直さなければならない状況になってきたのです。
ですが修理などには個々の店では対応しきれない程の資金がかかります。国からのそのような要請があれば、なんとしてもやらなければなりませんでした。そこで商店街の方から県に1985年頃から要望してきました。そのようなこともあり、1999年には県から、「アーケードを取り除いてしまっても良いのであれば、電線の地中化と地熱を利用した融雪歩道整備をする!」という話がありました。そして工事が開始したのです。
このようにして、他の商店街にはある人工的なアーケードがなくなってしまったのです。
そう考えると、大きく目立つアーケードがない、いわば他の商店街よりも天然だといえるのではないか?そうして考えた結果、昭和通り商店街は「天然色の街」であるということになったのです。
降雪のある県で、商店街には必要不可欠なアーケード。それを取り除かなければならないという一大事を、逆転した発想で商店街の魅力にしたという所に私は感心させられました。